フランスの正式名称と歴史を知って楽しい旅行に!

私達夫婦は、新婚旅行でフランスへ行ってきました。

その際に思った事があります。

もっとフランスのことを勉強しておけば良かった

と。

フランス旅行自体は、とても楽しかったのですが、

フランスのことをもっと知っていれば、もっと楽しかったことでしょう。

 

という事で、ここではフランスに関する基礎的な情報を書きますので、参考にしてくださいね♪

フランスの国名

フランス国旗

日本では、通称フランスとして呼んでいますが、正式名称は違います。

 

正式名称は、

 

『フランス共和国』

 

これをフランス語で言うと、

 

『Republique francaise(レピュブリク・フランセーズ)』

 

です。

 

フランスの歴史

(wikipediaから抜粋し、分かりやすく時系列に並べ替え)

 

年代 概要
紀元前219年 第二次ポエニ戦争では、カルタゴ帝国の将軍ハンニバルが南フランスを抜けてローマ共和国の本拠地だったイタリア半島へ侵攻したが、ゴールには大きな影響を及ぼさなかった。
紀元前121年 カルタゴを滅ぼしたローマは西地中海最大の勢力となり、各地がローマの支配下に置かれた。ゴールも例外ではなく、には南方のガリア・ナルボネンシスが属州とされた。
紀元前1世紀 ローマの将軍カエサルは紀元前58年にゴール北部に侵攻した。ゴールの諸部族をまとめたヴェルサンジェトリクスは果敢に抵抗したが、ローマ軍はガリア軍を破ってゴールを占領し、ローマの属州とした。ゴールは幾つかの属州に分割され、ローマの平和の下でケルト人のラテン化が進み、ガロ・ローマ文化が成立した。
360年 ゴール北部の都市ルテティアはパリと改名された。
476年 西ローマ帝国が滅びるとゲルマン人の一部族であるフランク族のクローヴィスが建国したメロヴィング朝フランク王国が勢力を伸ばし始めた。
508年 メロヴィング朝はパリに遷都し、メロヴィング朝の下でフランク族はキリスト教とラテン文化を受け入れた。メロヴィング朝の後はピピン3世がカロリング朝を打ち立てる。
732年 カール・マルテルはにイベリア半島から進出してきたイスラーム勢力のウマイヤ朝をトゥール・ポワティエ間の戦いで破り、イスラーム勢力の西ヨーロッパ方面への拡大を頓挫させた。シャルルマーニュ(カール大帝)はイスラーム勢力やアヴァール族を相手に遠征を重ねて現在のフランスのみならず、イベリア半島北部からイタリア半島北部・パンノニア平原(現在のハンガリー周辺)までを勢力範囲とし、ほぼヨーロッパを統一した。シャルルマーニュの下でヨーロッパは平静を取り戻し、カロリング・ルネサンスが興った。
800年 シャルルマーニュは西ローマ帝国皇帝の称号をローマ教皇から与えられた。
987年 西フランク王国が断絶するとパリ伯ユーグ・カペーがフランス王に選出され、カペー朝の下でフランス王国が成立した。彼の子孫のカペー朝、その後のヴァロワ朝、ブルボン朝は戦争と家領相続を通じて次第に国を統一していった。
1209年 アルビジョア十字軍が開始され、異端とされたオクシタニア(現在の南フランス)のカタリ派を殲滅した。その結果、カタリ派とともに独立性の強かった南フランスの諸侯も滅ぼされた。
1337年 黒死病の大流行が起こる直前からフランスはイングランドとの百年戦争を戦っている。フランスは幾度か大敗を喫して危機に陥ったが、ジャンヌ・ダルクの活躍などもあって最終的にはイングランド勢力を大陸から駆逐でき、またこの戦争を通じて王権が強化された。
16世紀 新教・旧教の対立から大規模な内戦ユグノー戦争が起こっている。
17世紀 王朝はルイ14世の時期に最盛期を迎えている。この時期のフランスはヨーロッパ最大の人口を有し、ヨーロッパの政治、経済、文化に絶大な影響力を持っていた。フランス語は外交の舞台での共通語となっていた。
18世紀 フランスの知識人の中から多くの啓蒙思想が生まれ、科学的な大発見がなされている。加えてフランスはアメリカ、アフリカ、アジアに広大な海外領土を獲得していた。特に重要だったカリブ海の植民地のサン=ドマングにおいては、奴隷貿易によって導入された黒人奴隷を酷使したサトウキビやコーヒーのプランテーションが築かれ、1804年のハイチ革命によってハイチが独立するまで莫大な歳入をフランスにもたらした。
1789年 フランス革命が起きて王政は倒される。
1793年 ルイ16世とマリー・アントワネットが処刑され、同時に数千人ものフランス市民が恐怖政治の犠牲となっている。
1799年 ナポレオン・ボナパルトが共和国の権力を握り、第1統領となり、やがて皇帝に即位して第一帝政(1804年-1814年)を開いた。ナポレオン戦争と呼ばれる一連の戦争を通じてナポレオンの軍隊はヨーロッパの大部分を制覇し、彼の一族が新たに作られた国々の王位に即いた。この戦争で数百万人が犠牲となっている。
1815年 ナポレオンがワーテルローの戦いに敗れた後、フランスは王政復古したが、王の権力は憲法に制約されていた。
1830年 7月革命によって立憲君主制による7月王政が立てられた。
1848年 この王政は終わり、第二共和政に移行する。
1852年 ルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)が第二帝政を開く。ナポレオン3世はボナパルティズム的手法で国内を固め、インドシナ半島やメキシコなどに積極的に出兵した。
1870年 普仏戦争に敗れたナポレオン3世は退位し、第三共和政に代わった。
17世紀~1960年代 広大な海外植民地を有しており、その植民地帝国は大英帝国に次ぐ規模だった。
1919年~1939年 最大時にはフランスは12,347,000km2(フランス本国を含む)の領土に広がり、世界の陸地の8.6%を占めていた。フランスは第一次世界大戦と第二次世界大戦の主戦場となっている。第一次世界大戦では140万人が犠牲となっており、この時は領土の一部だけが占領されたのにもかかわらず、第二次世界大戦よりも多くの犠牲を出した。戦間期には人民戦線政府によって様々な改革が試行された。第二次世界大戦ではドイツの電撃戦に敗れて、フランス本国は北部のドイツ占領地と南部の傀儡国家ヴィシー政権に分断されたが、シャルル・ド・ゴール率いる自由フランスが連合国についたため、辛うじてフランスは戦勝国の一員となった。

フランス第四共和政が成立し、経済は再建されたものの列強国としての地位は崩れかけていた。フランスは植民地体制を守ろうとしたが、脱植民地化時代の潮流には逆らえず、すぐに苦境に陥ることになる。

フランス領インドシナの支配を回復しようとして、抵抗するベトミンとの間で第一次インドシナ戦争が勃発し、1954年にディエンビエンフーの戦いでベトミンに大敗を喫してインドシナから撤退している。そのわずか数ヶ月後には、今度はより厳しいアルジェリア戦争に突入する羽目になる。

アルジェリア植民地の維持の是非と、植民者の帰還を巡って国論は割れ、内戦になりかけていた。このため、弱体で不安定な第四共和政は強力な大統領権限を含んだ第五共和政へ移行する。

権限をもってシャルル・ド・ゴールは国内の統一を維持し、戦争終結へ踏み出した。

1962年 和平交渉が妥結してアルジェリアは独立した。アルジェリアに先駆けて1956年にはモロッコとチュニジアが独立を達成していたが、インドシナやマグリブのみならず、ブラックアフリカの植民地においても独立運動は進んだ。1958年のギニア独立を嚆矢として、アフリカの年こと1960年にほぼすべてのアフリカ植民地が独立した。
1973年 石油危機以降、フランスは深刻な経済危機と低成長を経験しており、政権の交代が繰り返された。その為、1986年 – 1988年、1993年 – 1995年、1997年 – 2002年にはコアビタシオン(所属党派の異なる大統領と首相になってしまう、保革共存政権)が起こっている。1950年代からのドイツとの和解と協力によって、両国はヨーロッパ経済共同体(EEC)や1999年1月のユーロ導入を含む欧州統合に中心的役割を果たして来た。フランスはヨーロッパ連合の主導国の一つであり、ヨーロッパの政治的統合を強く支持しているが2005年の欧州憲法批准は国民投票で拒否されてしまった。
2008年 これを継承するリスボン条約が議会の承認を得ている。

フランスの大まかな概要としては以上です!

もし間違っている箇所などありましたらご連絡ください♪

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